第42回
VIDEO ACT! 上映会

精神科病院とアート〜

上映会報告


   

報告文:小林アツシ

 私見を交えて説明すると「ビデオアクト上映会」は「優秀映画を観る会」ではない。 誰もが映像を通して自分のメッセージを発信できるようにするというメディア運動の一環として上映会を続けてきたのだから、取り上げる作品は、たとえば撮影の技術という観点では稚拙と思われてしまう作品であっても、積極的に取り上げてきた。
ビデオアクト上映会だけがそうかというと、近年、小型デジタルビデオカメラの普及や一連のプライベートドキュメンタリー、海外での単身取材のドキュメンタリー、そして最近ではユーチューブなどの動画投稿サイトなどによって、そうした、いわゆるプロのカメラマンが撮った映像じゃなくても多くの人の目に触れる機会が増えてきている。 映像が特殊な機材や技術を要するプロだけが創れるものであった時代とは異なり、カメラワークとしては下手であっても「要は面白ければいいんでしょう」というのが常識となりつつある。むしろ、その一方で「面白ければいいのか」「下手でもいいのか」というギモンも同時に感じてしまうのだが。

  前振りが長くなったが、今回上映した作品『破片のきらめき 〜心の杖として鏡として〜』のカメラワークは抜群に上手い。撮影・監督・編集をした高橋愼二さんはテレビ番組等のプロのカメラマンだ。そしてもともとは芸術文化振興基金の助成を得て作られたこの作品は、なかなか隙がない。そういう意味では、もしかすると「ビデオアクト上映会らしくない」作品だったのかもしれない。今回の上映会は、いつもに比べて参加された人数や問い合わせも多かった。「観てみたい」と思った人がそれだけ多かったということだろう。参加された方の評判もかなり良かった。

この作品は、東京八王子にある精神科病院の一角にあるアトリエに通っている人達を長期に渡って撮り続けたドキュメンタリーだ。監督の高橋さんは、もともと撮影をしようなどとは思わず、そのアトリエに行くことが「気持ちがいい」という理由で5年間通い続けていた。そして、仕事仲間などから「それはぜひドキュメンタリーの作品にしたほうがいい」という意見が出て、徐々に本格的に撮り始め、5〜6年撮り続けて作品として完成したらしい。
参考:HP「心の杖として鏡として」メッセージ
こうした課程とかけられた時間によって、この作品は精神の病を抱えながらアトリエに通っている人達に寄り添って作られ、人の心を惹きつける作品になっている。

アトリエの主宰者である安彦講平さんは、このアトリエで絵を描くことは療法や教育ではないと捉えている。そもそも精神の病は治療により直さなければいけないものなのか、表現によって解放されるのは病があるなしとは関係がないのではないか、このドキュメンタリーはそんなことを考えさせられる。

私自身が、この作品を観ていて少し疑問に思ったのは、絵を描くなどの表現ができる人、つまり比較的症状が軽い人が登場しているのではないか、という点だ。上映会終了後の二次会で監督の高橋さんにそれを聞いてみた。 まず基本的に私の不理解があった。いわゆる「知的障がい」と「精神障がい」とは違うという点だ。(なかには重なっている人もいるそうだが。) そして監督からはこんな話も聞くことができた。作品に登場している一人一人の症状には、やはり波がある。監督自身が、一人一人の落ち込んでいる部分を撮ろうとしたわけではない。そして、大まかに編集ができた長いバージョン観てもらって、本人達が見せたくないという場面はカットしたとのことだった。

その点だけを取り上げて「この作品は綺麗事」だと批判することもできるかもしれない。ただ、プロのカメラマンである高橋さんは、症状の重い映像ばかりをわざわざ強調するという手法を取らなかった。マスメディアなどでありがちな、いわゆる「障がい者もの」は、壮絶なシーンばかりをセンセーショナルに取り上げて視聴率を狙い、我々視聴者はその映像をテレビなどで「消費」して共感したり、わかったような気になったり、自分はこうじゃなくて良かったと安心したりする。この作品は、そうしたやり方とは逆の手法で創られているということなのだろう。

とはいえ、 私自身が、そして他の人も「いちばん印象に残った(面白かった)」と言っていたのは、やはり病を抱えた人を「覗き見」できるシーンだったということも白状しておこう。 強迫性障害という症状の人がいる。出かける時には「何か忘れ物がないか」と心配で何時間もかけて準備をするという。カメラはその人が自宅を出かけるまでの一部始終を長時間に渡って執拗に追い続ける。テーブルに撒き散らされた雑多なものを鞄やポケットのさまざまな場所に詰め込み、悩みながら時には忘れそうになっていたものを思い出して小さな叫び声をあげ、実に神経質そうで、そのくせとても合理的とは言えないやり方で、外出の準備が進んでいく。助成を得て作られた60分の最初の編集版では一部カットしていたというこのシーンだが、今回リメイクされた80分のバージョンではほとんどノーカットで収録されている。 長い付き合いで友人である高橋さんだからこそ撮れたシーンだろうし、このシーンがやはり面白い。そして、自分自身にもこのシーンに写っている人と似たようなところがあり、境界線など無いのではないかという再認識もさせられたシーンである。

それにしても、この作品に登場する人達が書いた絵はいずれもかなり優れている。 それは病を抱えた人がああいった環境のもとで自己表現できたからなのだろうか、それともひたすら書き続けたから上手くなったのか、絵が好きでアトリエに来たんだから当然なのか……、それでも絵が下手な人、表現ができない人はどうすればいいんだろう。そもそも絵や表現が上手いというのはどういうことなのか……、とにかくいろいろなことを考えさせてくれる作品だった。


関連ホームページ
心の杖として鏡として

上映会・アンケートより(抜粋)

■以前、フランスの映画で芸術をする患者さんたちを 扱ったものがあったが、このビデオ上映会のことを知って どんな映画なのかなぁと、想像してきた。
精神病院は知ってもいたが、自然にこういうことが 出来ているものが映像になっていてよかった。

■高校時代に美術部に所属していましたが、 何十年ぶりかで絵を描きたくなりました。 自分の中でわだかまっているものを表現ということで 外に出していくことで楽になっていく、ということに 共感しました。よりふさわしい表現を求めていくうちに 新しい技法を発見していく、見出していく 独創性というものを再認識しました。 必要は発明の母だという実感を得ました。

■精神科病院で働いています。映画で出てくるように何かに管理されずに 自らの内を表現できる“場”を得た彼らがうとましいぐらい私の働く病院では、自らに向き合わないよう、 表さないよう、薬漬けにされている 患者さんが多いです。

■生きるって何だろうと考えさせられました。

■とても心が洗われました。ギターの演奏がとてもステキだった。映画を見ることができてよかったです。ありがとうございました。

 

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